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宋文洲氏の「戦略」の本来の意味は・・・という話

2013-11-25

先日Gunosyで宋文洲氏の 忘れがちな戦略の基本 という記事があり「戦略の本来の意味」を説明する行がありました。

漢字の戦略とは「何をどう上手くやるか」という意味ではありません。やらなければならない多くの課題を直視し、「如何に不要の戦を略するか」という意味です。英語のStrategyも「何をしないかを決める」ことです。

へーさすが漢字に対する見識が深い!などと思ったのですが、ネット上で調べてみると戦略の「略」は省略の「略」では必ずしもなくて攻略、策略などのはかりごとの意味としての「略」の方が一般的なようです。思考には「ことば」をベースにして考えを組み立てることも多いので、その基本要素となる「ことば」の本来の意味は常々大切にしなければと考えているので、少し残念な気持ちになりました。

しかし、戦略の本来の意味が何かはおいておいたとして、長期的に何をどうするか考える、ということにおいて 何をやるか ということよりも 何をやらないか ということにフォーカスするというのは一つの知恵だと思います。

たとえば、いまこのサイトでリリースしているアプリについても今後の展開をいろいろ考えます。アプリの拡張機能として追加したいこともたくさんありますし、展開するマーケットも Google Play Store だけでなく他にも進出したいし、OS にしてもそうです。関連する別アプリについてもいくつかアイデアがあります。当然アプリを開発するには時間がかかりますから、その間自分が生きていくためにお金が必要です。それ以外にもいろいろとお金がかかるものです。そういう意味で単に自分が納得するアプリをつくるだけでなく人気のあるアプリを書かなければ、すぐにも市場から退場せざる得なくなるでしょう。

そのような状況の中で、できるだけ多くのアプリ/多くの機能/多くのマーケット... を想定していけばそこから得られる売り上げもそうでない場合に比べて多く見込めるわけです。たくさん試すことで求められている機能に気づく可能性も増えますし、こういうやり方だとアイデアのアプトプットが進むよねぇみたいな発見もたくさん試すことによってはじめて得られる場合が多々あります。エジソンは電球の発明に9999回失敗した、といった類の話ですね。

でもこれ話の本質とはズレますがぴったり10000回目で成功というきりのよい話は実際にはないと思うのでなんかちょっとあれな気がしますね、まあ調べたわけではないので本当に10000回目で成功したのかもしれませんが...

しかし現実に確保できるリソースそしてそのなかでできることは...ということを考えたとき、実際に実行できることというのはそうやって机上で制限をはずして構想したことにくらべれば少しです。そのような限られたリソースの中で何をするか、ということを考えるのはつまるところ何を省けるか、何を捨てられるか、ということになっていくと思います。

断捨離をはじめ「ものを捨てる」とうまくいく的な話はよくあります。そして実際そうなのだと思いますが、捨てるっていうのは本質的なんですよね。捨てるだけだから簡単!ということでは全然なくて、ものが捨てられるということは自分の未来像が描けているから捨てるものが見えてきてその結果捨てられるのであって、それがないと捨てられない、または単に捨てても、あれは必要だった・・・ということにもなると思うのです。

ということは、意外に0ベース発想は、自分が本当に必要としているものを知るための手法としてはよいのかも!
つまり、一旦何も考えないで全部捨ててしまってそこから必要なものを足していくと。
効率はともかく、引き算より足し算の方が簡単なのかもしれない。